ハワイ映画

『50回目のファーストキス』『ブルークラッシュ』など、ハワイを舞台にした映画はいろいろあるが、昨日、渋谷のQ-AXシネマで観た『ザ・ライド ハワイアン・ビーチ・ストーリー』が一番のお気に入りになった。
 ストーリーとしては、カリフォルニア出身の高慢チキなサーフィンの世界チャンピオンがノースショアでの大会中にワイプアウトして遭難、気付いたら2002年から1911年にタイムスリップしているというもの。1911年というのは、ワイキキにはモアナ・ホテル(現在のシェラトン・モアナ・サーフライダー・ホテル)しかないという時代。ここで主人公は、のちにオリンピックの水泳自由形で金メダルを獲得し、サーフィンを世界に広めたデューク・カハナモク(現在、ハイアット・リージェンシー・ワイキキ前のビーチに銅像が建てられている)と知り合い、サーフィンの本当の意味を知り、ハワイアンの娘と恋に落ち、古き良き時代のハワイの自然に触れていく。そして2002年に戻るというもので、ありきたりといえばありきたりかも。
 しかし監督、キャスト、スタッフ、音楽がすべてハワイアンで、ファッション、言葉(ビジン・イングリッシュ=ハワイ語と英語がミックスされたハワイ独特の英語)、小道具までこだわって1911年当時のハワイを再現した映像はグッときた。「この当時のハワイに行ってみたい!」と思わせてくれるものだ。
 アメリカ人が見た“南国の楽園”ではなく、ハワイアンの目線が見たハワイは新鮮だし、心が洗われる思いだった。
 ちなみに173席ある映画館で、観客は私たち夫婦を含めて6人だけ(!)だったが、ハワイに興味がある人は観てみてください。上映は明後日の6月1日までで、上映スケジュールは午前9時40分~11時10分、午後9時20分~10時50分の1日2回だけ。私たちが観たのは夜の回でした。

将斗と義人

 27日は昼のプロレスリングSUNだけでなく、夜のゼロワンMAXにも足を運んだ。第0試合の浪口VS高西を含めて全9試合がシングルマッチ。途中にタッグや6人タッグを入れて変化をつけることなく、すべてをシングル戦にするのは冒険だ。つまらない試合が2試合も続けば、お客は飽きてしまうだろうし、同じタイプの試合が続いても退屈してしまう。その意味では、それぞれにカラーが違う試合になったのだから及第点。
 さて、個人的に一番インパクトがあったのは、やはり田中将斗の復帰戦である。昨年11月に脱臼グセがついていた右肩を手術して、半年振りにのカムバック。今回の再出発に賭ける将斗の気持ちは、シェイプアップされた体に表れていた。大胸筋がパンパンに張り、無駄な肉のない文字通りの逆三角形。右肩を筋肉で固めたということもあるのだろう。試合後、肉体改造について聞くと、将斗は、
「ただリングに上がるだけなら2~3ヵ月で上がれたと思います。でも完璧に治さなければ手術に踏み切った意味がないし、リングに上がる以上は、ファンの人たちに変わったところを見て感じてもらわなければいけないでしょう」
 とニッコリ。試合は負けてしまったが、スピード、パワー、試合勘…すべてOKだった。あの大横綱・千代の富士(現・九重親方)も肩の脱臼グセを克服してから大記録を作っている。将斗のレスラーとしての充実期はこれからである。
 そして、この将斗に真っ向から勝った佐々木義人も素晴らしかった。義人は将斗に憧れてFMWの門を叩いた男。今回の将斗復帰に際しては、自ら復帰戦の相手を名乗り出た。普段は物静かな青年の義人だが、将斗に向かっていく闘志は鬼気迫るものがあった。最後のラリアットは、FMW入門から今日まで培ってきたものすべて、想いのすべてをぶつけた技だったと思う。
 この試合には、きっと2人しかわからないドラマが詰まっていたはずだ。

Hikaruとの約束

 最近では女子の若いレスラーとの接点がない私にとって、貴重な存在なのがHikaru。2年前に週刊ゴングでインタビュアーと選手の組み合わせを読者投票で決める企画があり、私のインタビュー相手がHikaruになったのがきっかけだった。
 当時、すでに全女のフジテレビの中継はなく、それまで私はHikaruのファイトをハッスルでの“ハッスルなでしこHikaru”としてしか見たことがなかった。そこで女子プロ・ライターの田中正明クンに資料をもらい、レディゴンの泉井編集長を通じてサムライTVから高橋奈苗と組んでW・コングと戦ったWWWA世界タッグ王座決定戦(04年10月6日)、オール・パシフィック王座を獲得した西尾美香戦(04年11月7日)、前村早紀戦(05年1月3日)のビデオを入手。さらにインタビューを目前に台場のスタジオドリームメーカーでの試合もナマで観た。
 ところが、インタビューの約束日の2日前の05年2月20日、Hikaruはライオネス飛鳥戦で左足首を脱臼するというアクシデント。結局、インタビューは約半年後の9月頭に実現した。
 その間のHikaruの運命はドラマチックだった。欠場中に全女が倒産、Hikaruは高橋奈苗と個人事務所フラッシュ7を設立し、9月10日、新宿FACEにおけるフラッシュ7自主興行の豊田真奈美戦でカムバックを果たした。
 インタビューが決まった時点から下調べをし、ビデオやナマの試合を観、そして実際にインタビューしてみて、私はHikaruに“女子プロの可能性”を見た。試合は荒削りだし、決して器用ではない。でも、男子プロレスとは違う、女子プロ特有の輝きが見えたのだ。それはかつてのクラッシュ・ギャルズが持っていたムードである。いわば、“女子プロの純プロレス”の空気である。
 豊田戦は本人にとっては納得のいかない試合だったようだ。試合後の午前2時過ぎ、Hikaruから電話がかかってきた。
「今度は半年後…半年経ったら、私の試合を観に来てください!」
 それは半年の時間があれば、私を唸らせる試合ができる自信があるという意味だった。
 だが、その約束は延び延びになってしまった。私自身も忙しくなって、他の仕事に追われていたのである。その間、Hikaruは高橋奈苗と共にプロレスリングSUNを設立して、ゼロワンMAXとリンクする形で活動していた。ゼロワンの大会で何度かHikaruの試合を観たが、それはあくまでも“ついでに観た”といったもの。
 そんな中で4月19日のハッスル後楽園でバッタリとHikaruと出くわした。
「お久しぶりです。5月27日に後楽園でSUNの興行があって、私はタイトルマッチをやるんで観に来てくださいよ!」
 そんな経緯があって、昨日は延び延びになっていた約束を果たすためにも後楽園へ。22日に鼻骨骨折した上でのメリッサとの防衛戦だったが、2年前に感じた“あの輝き”は健在だった。ファンを惹きつける力も持っている。今、SUNの選手は日高郁人のコーチを受けているというから、これからさらに成長するだろう。
「練習中に怪我をしてしまって、チャンピオンとして反省しています。でも、このベルトは全女時代の白いベルト(オール・パシフィック)と同じくらい、私にとって大事なものなんですよ。どのベルトに価値があるとかじゃなくて、これは私の戦いができるベルトなんです。ベルトが歩いているんじゃなくて、私の横にあるのがベルト。私の飾り。でも、今日はいつもは飾りのベルトに支えられました。外人は強いです。日本人とパワーが全然違う。だから外人相手に防衛戦をやっていきたいです」
 Hikaruがこのまままっすぐにスケールの大きな女子プロレスラーになってくれることを期待する。

ジ・ウインガー

 昨日は新木場のアパッチ興行へ。4月からアパッチにハマっていて皆勤賞だ。なぜハマるか? それはプロレスの様々な要素が取り込まれているからである。若手のイキイキとしたファイトから、金村のハードヒッティングかつ、お笑いもある独特のスタイル、マンモス佐々木と関本大介のパワー真っ向勝負、そしてデスマッチ。昨日はNEO提供マッチとして宮崎VS松尾の女子プロの試合もあった。
 そしてドラマもある。昨日は真壁が保持するWEW王座への次期挑戦者査定試合として金村&関本VS黒田&マンモスが行なわれ、30分時間切れ。次回6・10新木場では時間無制限でマンモス&佐々木VS金村&黒田が行なわれ、フォールを取った選手が挑戦権を得ることになった。このタッグマッチは世代闘争的な意味合いも強い。今が旬のマンモス&黒田が勝つか、「俺らはFMWが倒産してからも突っ走ってきた!」と自負する金村&黒田か? これは見ものだ。
 アパッチのもうひとつの流れはデスマッチを否定するGENTAROと、葛西、佐々木貴のイデオロギー闘争。昨日は3WAYマッチが行なわれ、貴軍団のウインガーがGENTAROに寝返るという新たな展開が生まれている。
 大会終了後、ウインガーこと岡野と久しぶりに話をした。
 岡野は学習院卒なのにW★INGでプロレス・デビューした変り種。その後、IWAジャパン、大日本に移ってフリーになり、最近は大日本、アパッチに上がって、自主興行もやっている。大日本時代にはデスマッチで右目の視力を失うというアクシデントにも見舞われた。
「普通のプロレスにしてもデスマッチにしても…エスカレートし過ぎてますよね、今は。じゃあ、この先、どうなっちゃうのか? 大技を乱発したり、危険なことばかりを追求しなくても、お客さんを満足させられるのが本当のプロの技術だと思う。だから基本に立ち返ろうと…」
 と、岡野。若い頃は線が細いファイターだったが、今では15年選手になってインディーの中でも重鎮の部類。心にゆとりを持ってプロレスを追求しようという姿勢に“大人”を感じた。

ロッキー・ザ・ファイナル

 パンパカパンパカパンパカパン!(これ、冒頭のファンファーレのつもり)
昨日、ようやく『ロッキー・ザ・ファイナル』を観に行くことができた。ロッキー・シリーズは、ゴッド・ファーザー・シリーズと並んで私の大好きな映画。1の日本公開は1977年だから、高校1年の頃。当時、家庭環境の激変で精神状態が良くなかった私にとって、ロッキーは気持ちを鼓舞してくれる映画だった。
 1では夢も希望もない落ちぶれたボクサーがエイドリアンという女性と知り合い、自分がろくでなしではないことを証明するために世界王者アポロ相手に15Rを戦い抜くというもの。簡単にロッキーに勝たせないところがよかったし、当時の私には「自分に強い気持ちがあれば、それまでの人生をリセットしてやり直せるんだ」というメッセージに思えた。2では愛する者のために戦うことの大切さを教えられ、3では忘れかけた原点を思い出すことを気付かされた。で、4と5はちょっと…。
 ということで期待と不安を抱えて映画館へ。1から数えて30年…大スクリーンで見るロッキー・バルボアは明らかに老けていた。ストーリー的には過去の回想シーンが随所にあってノスタルジックな気持ちにさせてもらったが、その一方では「懐古的な部分が鼻につくなあ」という斜に構えた気持ちも。ただ、スタローンが描きたかったのは、そういう過去に埋没するのではなく、今現在の自分を直視して前進していくことの大切さだというのが観終えた後にわかった。
 年を取ったからって人生が楽になるわけではない。そして肉体的に衰えても、そこには若い人間にはない経験が上積みされている。年を取ったからといってチャレンジをやめてしまったら、それまでである。
 考えてみれば、私もこの業界では「重鎮」とか「ベテラン」と呼ばれることがあるが、イコール年寄り扱いのようで違和感を覚える。確かに周りを見渡すと、キャリア的には上の部類に入るが、まだ45歳…現役バリバリのつもりでいる。自分自身では、20歳以上も若い記者と現場にいても全然違和感がない。私が本当に力を発揮するのは、キャリアを積んだこれからなのだ。そうだよね?ロッキー・バルボア!

久々のサムライ

 昨日は約1ヵ月ぶりにサムライTVの『S-ARENA』に出演。3月の末からGAORAの全日本プロレス中継の解説と重なったり、旅行に行ったりなどで、出られないことが多かった。出演させてもらってから2年…久しぶりにスタジオに行ったら、何だが気持ちが落ち着いた。やっぱり慣れ親しんだ場所で仕事をするのは気分がいい。
 この『S-ARENA』は私にとって、いろいろな意味で大きなウェートを占める仕事。週刊ゴングが休刊になった現在、私にとっては“今のプロレス”について語れる大切な場なのだ。そして放送前後のミーティングでスタッフの人たちとの会話は情報収集の場でもある。直接、現場に行って取材している人たちのナマの言葉は、まさに生きた情報。この仕事はずっと続けていきたいものだ。

トッコちゃんの引退

 昨日はイーグル沢井…後楽園ホールでトッコちゃんの引退試合。2月の両国以来、久々にLLPWの会場に足を運んだ。LLPWという団体、そこに所属する(していた)選手は私にとって特別なものだ。まだ女子プロとは無縁の時代にWARの打ち上げで風間ルミと知り合ったのがきっかけで選手たちと飲み友達になったのである。
 私が女子プロを取材対象としない記者だったから選手たちも気楽だったようで、よく御徒町界隈で朝まみ、プライベートもあけすけ。たとえば維新力と穂積詩子の付き合いも公表される半年以上も前から知っていた。そうした輪の中に当然、イーグルもいた。そうこうしているうちに97年、私は週刊ゴングの編集長に就任した。こうなると女子プロと無縁とは言っていられなくなる。それでも「仕事の上では担当の原(正英)クンに任せて、今まで通りに飲み友達でいよう」というのが、LLPWの選手たちとのルールになったのである。
 さてイーグルだが、あの巨体だけにヒール的な役割りが多かったが、実際はおっとりした性格で、それがリング上にも出てしまい、真の意味でのトップにはなれなかった。ヒールなのにファンに「トッコちゃん」と呼ばれるのはマイナスだが、それが逆にイーグルならではの個性だったように思う。
 昨日の引退試合は尾崎魔弓と組んでハーレー斉藤&ダイナマイト関西と激突。かつてジャパン女子で袂を分かった同期が並び立ったのは感慨深いものがあった。キューティーも来ていたし、ジャパン女子で引退したOGも顔を見せていた。これがイーグルの人柄であり、レスラー同士のつながりだろう。私も引退後に飲み友達として知り合ったムーン章子やスコルピオと10年ぶりぐらいに再会できて嬉しかった。
 本当はおっとりとしていて涙もろいイーグルだけに、ちゃんと試合ができるかどうか心配だったが、明るさ全開。最後の胴上げでは120キロの巨体が宙に浮かずに笑いを誘うなど、ある意味、イーグルにふさわしいものだったと思う。最後まで明るかったのはプロレスに未練がない証拠だ。
 トッコちゃん、とりあえずお疲れさま。これからの花嫁修業…無期限にならないことを祈ってます!

現実生活へ

 昨日の午後1時半過ぎに帰国。12泊14日の旅行は今まで最長…これだけの“空白”を作ったことは今までなかった。今回の旅行は、今年に入って嫌なことが続いていたので気持ちをリフレッシュすることと、あらゆる意味でリセットするためのものであり、結婚10周年の記念でもあった。当時、週刊ゴングの編集長だった自分が10年後にはフリーとして活動しているとは。人生は本当にわからない。わからないから面白い…と強がっておこう。
 さて、日本に着いたら現実の生活が待っている。いつまでも浦島太郎でいるわけにいかない。旅装を解いてシャワーを浴びたら、ノアのディファ有明へ。小川良成がムシキング・テリーに喧嘩を売ってジュニア王座への挑戦を表明した。小川は、私が週刊ゴングの全日本プロレス担当記者になった時に練習生として入ってきた男。それだけに思い入れがある。同期の人間がいなくて、ちょっとひねくれた若者だったが、今年でキャリア22年、41歳になる大ベテランだ。ジュニアというと、どうしても若いレスラーが主役という印象があるが、ケレン味たっぷりのファイトでノア・ジュニア戦線を掻き回してほしいものだ。
 また、全日本でRODとして活躍していたディーロ&ブキャナンが元気だったのも嬉しかった。秋山に言わせると「もっと来てくれないと」とのことだが、順応性抜群の2人のこと、すぐにノア・マットにも慣れるだろう。
 そして今日は後楽園ホールでイーグル沢井の引退試合。女子プロは担当外だった私にとって、イーグルは仕事抜きの飲み友達だった。今日はレスラーとしての最後をしっかりと見届けたいと思う。
 私の休暇は終わった。ここからが本当の意味での2007年のスタートだ。

 朝市で

 今はホノルル時間で16日午後2時過ぎ。今朝はカピオラニ公園のモンサラット通りとパキ通りが交差したところの駐車場でやっている朝市へ。ここでタレントの大山のぶ代夫妻と遭遇した。聞けばハワイ・ロングステイを題材にしたテレビ収録だとか。ちょうど私たち夫婦がマウイ・オニオンを買おうとしているところで夫妻に話しかけられ、一袋2ドルのマウイ・オニオンを1ドルずつで半分に分けることにした。夫妻と私たち夫婦のやりとりはテレビ・カメラに収録されており、もしかしたら番組で使われるかも。確かテレビ朝日の『ぽかぽか地球家族』という番組名だったと思うが。
 さて、今からロッキー・イヤウケアがやっているカタマランに乗るためにワイキキビーチへ。残念ながらロッキーさんは、今日は休みとのことだが、奥さんのヨシエさんに1年ぶりに会ってこよう。
 この休暇もあと2日!

竜宮城

 今、ハワイ時間の5月14日午前10時半。1週間のクルーズからワイキキに戻ってきて、JCBプラザでこのダイアリーを打っている。船上にはインターネットセンターがあったが、日本語入力はできず、ダイアリーの更新は断念。仮に利用できたとしても、更新していたかどうか。
 この1週間はまさに非日常だった。日にちの感覚も曜日の感覚もなく、初めてのハワイ島ヒロ、10年ぶりのマウイ島、3年ぶりのハワイ島コナ、初めてのカウアイ島を満喫、というよりは見せつけられて、頭の中がグルグルしている状態。時間も空気も止まったようなヒロの町、太古を感じさせるカウアイ島の自然の景観は特にインパクトがあったが、この船旅の実感が湧くのには時間がかかりそう。もちろん、日本のニュースは全然入っていないから、実生活から隔離されているような感じ。アッという間の1週間で、きっと竜宮城で過ごした浦島太郎のようなもの。これから4日間のワイキキ滞在は社会復帰のための時間になりそうだ。