無我とは…

 昨日の夜は後楽園の無我。ちょうど西村らが新日本を離れて1年目の興行だった。無我とは何なのか? 西村は60年代、70年代のアメリカン・プロレスをイメージしているが、それがどういうものなのかを体現するのは難しい作業だ。
 大技を乱発しない、ひとつの技で決まる、グランド主体…それが一般的な無我のイメージだと思うが、そうなると、ただ地味なプロレスになってしまう。西村が主張したいのは利に適ったプロレスだろう。例えば、足を攻めたら、ずっと足を攻めて相手にダメージを与える。そうすればトーホールドでもギブアップを奪える。そこに無意味な大技はいらいないということだろう。
 昨日のラウンド制による西村VS川田は、そんな醍醐味を見せてくれた。ラウンド制ということで、試合の流れが3分でストップしてしまうため、イライラした川田が3Rからラッシュしたが、5Rからは西村がねちっこく足攻め。川田がまるで蟻地獄に吸い込まれるように、ラウンドを重ねるごとにジワジワと追い込まれていく展開はスリリングで飽きなかった。
 私は、初めてのラウンド制に対応した川田を高く評価したい。川田は試合後に「お客さんが求めることをやっていきたい。お客さんが望むカードって、逆にいい試合にならなかったりもするけど、それをこなすのがプロレスラーだと思う。どんなスタイルでも、どんな形のリングでもこなして、お客さんを満足させて帰すのがプロレスラー」とコメントしていたが、これこそ我を捨てた無我だとも思った。
 川田は、西村が崇拝する60年代、70年代の偉大なるレスラー、ジャイアント馬場の教えを継承している男。馬場さんの持論は「スタイルも言葉も国も関係ない。タイツとシューズさえあれば、どこでも戦えるのが本当のプロレスラーなんや」だった。それを実践している川田に無我の精神が宿っていても不思議ではないのだ。多分、西村はそんな川田の要素に惹かれているのではないか。

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