大木金太郎さん

 去る26日に韓国で亡くなった大木金太郎さんについて書いてほしいとBBSにマサ札幌さんから書き込みがあったので、少し…。
 力道山門下生の三羽烏の中で馬場さん、猪木さんを取材できたことは私にとって財産だし、今のプロレス・マスコミの中では貴重な経験をさせてもらったと思っているが、大木さんだけは取材はもちろん、喋ったこともなかった。
 私がゴング編集部で仕事を始めた1980年当時、大木さんは国際プロレス所属選手。国プロの取材はほとんどなかったし、若造だった私などはとても大レスラーの大木さんと口をきける立場ではなかった。今、思うと残念で仕方がない。
 国プロ時代、大木さんの付人をしていた冬木さんは「プロレスに入って一番最初に付いたのが大木さんだったんだけど“ああ、プロレスラーはこんなに凄いんだ”って思ったよ。飲みに行く時は必ず高級クラブだったしね。天龍さん? 天龍さんは、俺が付いた頃はお金がないレスラーだったよね。メシは食わせてくれたけど、それがやっとこさ。だって食うもん、しょっぱかったもん(笑)」。と独特の言い回しで話してくれたことがある。きっと、モロに昭和のレスラーだから、さぞかし豪快だったのだろう。
 ちなみに私のファンの時代のベストバウトは中学1年生の時にテレビで見た74年10月10日、蔵前国技館における猪木ー大木戦。純粋な試合としては同じ年の3月19日に行なわれた猪木ーストロング小林戦の方が名勝負(この試合のテレビ放映は小学校の卒業式の日だった)だったと思うが、心に響いたのは断然、猪木ー大木戦。凄く殺気立っていて、額から血を流しながら拳を固めて「来い!」と構える猪木さんに頭突きをガンガン叩き込む大木さん。最後は猪木さんのパンチからのバックドロップでケリがつくというシンプルな試合だったが、試合後に泣きながら抱き合う猪木さんと大木さんを見て胸が熱くなったのを憶えている。きっと、ずっとプロレスを見続けている人は、子供の頃の記憶に感動した試合があるからではないだろうか。その意味では大木さんに感謝している。そして、改めてご冥福をお祈りします。

「大木金太郎さん」への1件のフィードバック

  1. 小佐野さんレスありがとうございます。
    馬場・猪木と話しても大木選手とは、話した事がないとはびっくりしました。ファンと記者では、対応の仕方も違いますよね。
     自分、小佐野さんと年齢が近いのですが、私もプロレスを見て初めて泣いた試合が大木対猪木戦でした。
     今は、会場に行く事がほとんどなくなりましたが、それでもまだ見続けてるのは、小佐野さんの言う通り未だに感動を求めてるからです。この年齢でSUMURAIを視聴、専門誌を(たまにですが)購読しているのは周りでは、私だけです。天龍、鈴木みのる、金本、小橋、三沢等熱いレスラーがいる限りまだまだ、ファンでいたい。(他の選手ごめんなさい)
     家族の話題の中にプロレスがあった時代のレスラー、(金一)大木金太郎選手。ありがとう。合掌.....

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です