三沢特集終了

 明日発売の週刊ゴングでは、担当した3週連続の三沢光晴25周年特別企画の最終回。ハッキリ言ってキツかった。何がキツイかというと、写真探し。できるだけ懐かしい写真、ベストショットを使いたいが、どうしても無いものは無い。悔しい思いをしながら倉庫でゴソゴソと写真を探していた。でも、これってプロレス雑誌の編集をする上での基本。すごーく地味な作業だが、探すのにはコツと記憶がいるし、こだわりがあるから人任せにはできないのだ。
 考えてみれば、三沢をデビュー当時から見てきているのは、週刊ゴングで仕事をしている人の中では私と清水さん、2代目タイガーマスクの仕掛け人のひとりでもある竹内さんだけ。その中でも、私は歳が1つだけしか違わないので、三沢も「小佐野クン!」と話しやすかったはずだ。
 私にとって悔やまれるのは、三沢25周年の歴史において、マスクを脱いだ後の90年夏から94年の夏までの“レスラー、三沢光晴”を知らないこと。当時、私はSWS→WARと担当が変わり、また“大人の事情”で全日本に出入りできなかったからだ。この時期、私が知っているのは“友達のみっちゃん”だけ。でも、今回の連載で、改めて空白の4年間を検証できて、本当によかった。
 私と三沢はスレ違いが多かった。94年夏から、4年ぶりに全日本に出入りするようになった私だが、00年6月の分裂騒動で、私は全日本もノアも両方とも成功してほしいと願いつつ、元子さんの要請で天龍さんに全日本への復帰の話を持って行った。そこにはもちろん私自身の、天龍さんにもう一度、全日本のリングに上がってほしいという気持ちもあった。だが、それをしたことで、何となくノアとは疎遠になってしまった。
 そんな私がノアに頻繁に足を運ぶようになったのはフリーになってからのこと。週刊ゴングのノア担当だった木幡クンが今年に入って編集長になり、現場にあまり出られなくなったことで、私にノアの仕事のオファーが来ることが多くなったことも大きい。ほとんどのレスラー、スタッフが昔からの知り合いだから、ノアの会場は落ち着く。
 そんな中で9・9日本武道館大会のパンフの三沢25周年の記事の執筆と編集を依頼された。「昔から社長を知っている小佐野さんに」というのが、その理由。これは光栄なことだった。2~3年前だったら、ノアから仕事が来ることなんて考えられないことである。ありがたく、やらせてもらった。
 三沢社長は相変わらず。知らないうちに大社長になってしまったが、私に対する態度は昔と一緒。囲み取材でも、普段は真面目ないい回しで答えているが、私が何かを振ると、途端に「それを聞いちゃあ、おしまいじゃん!」とか、「ぶっちゃけさあ」という調子。だから、他の記者に迷惑にならないように、ホントに聞きたいことは個人的に聞くようにしている。そして“ぶっちゃけ話”の方が本音だから面白いのだ。今、私ができることとしたら、かしこまったインタビューより、三沢のナマの人間性を伝えることか…。
 とりあえず、限られた材料と限られた時間の中でつくった三沢特集のラストを明日発売の週刊ゴングで読んでみてください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です