私の言葉

 昨日のダイアリーにもコメントが寄せられていた。改めて人の感じ方は様々だと痛感する。グースカさんは、私に「新日本の足を引っ張る」という意図を感じたようだが、それは一切ない。では、DSEや、エディ・ゲレロを利用したWWEと、新日本のどこが違うのかということだが…WWEの件は正直、よく知らないが、これには私も反対だ。DSEに関してはS-ARENAで小川と遺族の方たちがリング上でトルネード・ハッスルをやっている映像を見たが、私はまったく嫌悪感を持たなかった。むしろ、微笑ましく思えた。まあ、これも個人的な感覚ということになってしまうが。
 岐阜の蝶野の件に関しては「蝶野、それはちょっと違うんじゃないの?」ということ。個人を偲ぶセレモニーの直後の行動としては非常識だった。あのリング上でなければ、私も別に嫌悪感を持たなかったと思う。私の批判はそれだけのことで、それ以上の意図はない。だから大谷が橋本の名前を出すことに関しては、何も思わない。蝶野は思慮深く、人に気配りをするバランスの取れた人間だからこそ、余計にそう思えたのだ。そしてテレビの生放送でコメントを求められたら、そこで適当にやりすごしたり、嘘をつくことは私にはできない。それでは私が出演している意味がないから…。
 ここで私のスタンスを示しておきたいが、時流に乗って何でもかんでも批判すればいいなどとは、まったく思っていない。「フリーになったんだから、過激なことを言ってくださいよ」と言う人もいるが、無責任なことは言いたくない。それにフリーという私の立場はバックボーンがないから、団体やレスラーを批判するのに大きなリスクがある。各媒体に「あの人は使わないでくれ」と圧力をかければ、私の存在など簡単に消えてしまうのだ。それに私は新日本に限らず現場取材を基本にしているから、当然、選手や関係者と顔を合わせる。となると本音としてはどこも批判はしたくないというのが正直な気持ちだ。
  私は週刊ゴング等の媒体に原稿を書く時に、なるべく〈フリーライター/小佐野景浩〉と入れてもらうようにしている。それは「今はゴングの人間ではなくフリーなんですよ」というアピールでもあるが、もうひとつは個人としての責任を明確にしておきたいから。自分の仕事について媒体に迷惑をかけたくない。自分で責任を負いたいのである。だから、それなりの覚悟がないと批判的な文章を書いたり、発言したりはできない。例えばS-ARENAでの発言でも、もしサムライTVに圧力が掛かったら、私は干されることになるのだ。でも、個人として執筆、あるいは出演している以上は、私自身の考えを素直に示さなければ存在価値はないと考えている。
 我々は裏側の団体関係者やレスラーの辛さを見ているから、基本的には誰でも応援したくなる。だが、それで擁護すると太鼓持ちだ、癒着だと言われてしまう。理想は、読者に団体関係者やレスラーの努力を伝え、団体関係者やレスラーにはファンの気持ちを伝えて両者の橋渡し役になること。そして批判記事を書いた時に、団体関係者やレスラーから「あの人に書かれたんだったら仕方ないな」と思われるくらいの信頼関係を築くことである。時にはNOを言うことも団体やレスラーのためだと思うから、敢えて批判もするのだ。
 今回、いくつかの書き込みを読んで、このダイアリーを真面目に読んで、真剣に考えているファンの人たちがいることを知って嬉しく思った。私の考えが正しいとは言わない。私に限らず、媒体に書いてあることは材料のひとつとして、あとは個人個人が自分の考えを持ってプロレスを楽しんでもらえればいいと思っています。
 
 

「私の言葉」への4件のフィードバック

  1. あなたのようなマスコミばかりなら、この業界もよくなるでしょう。
    今回のことで、小佐野氏のジャーナリストの姿勢には、とても感銘しました。
    新日にも頑張っている人はいますが、周りへの配慮が足りないと思いますね。
    過去に新日がゼロワンや故人にしてきたこと(やった人たちも多数は新日を去っていますが)を知っているだけに、なくなった後の偽善者ぶりには辟易していました。
    だったら、存命中にいろいろ助けてやれよと思いますから。
    私は新日だけは橋本をビジネスにする権利はないと思っています。
    それは新日批判をしたいからではありません。
    橋本真也に夢を見て応援してきたものには、意図はともかく、小佐野さん「良く言ってくれた」って気持ちでしたよ。

  2. ハッスルと新日本、それにWWE。
    小佐野氏の文章から判断すると、ハッスルと新日本の違いは、橋本の一周忌の為の展開だったハッスルと、蝶野とサイモンのアングルの為に橋本の一周忌を利用(したように思われる)という方法論の違いだと思います。
    WWEの場合は、新日のそれに近いのですが、元々ストーリー上にエディも存在しており、彼が死んだ後でもプロットに使われるのは、自然な流れかと。
    つまり、小佐野氏が冬木の追悼本を作るのはOKだけど、小佐野氏が(仮に)プロレスに関係の無い小説を書いて、その出版を冬木の追悼本みたいに宣伝するのはNGという感じですか?
    個人的には、橋本の一周忌やエディの死を利用したという点に違いは無いと思いますし、また彼らが天国で「利用するな」なんて小さいことを言っているとは思えないです。
    「どんどん利用してくれ!」って大きく構えている気がしてなりません。
    まぁ、この辺りこそ「ものの感じ方」の違いだったりしますが(汗!)。
    閑話休題。
    小佐野さんのblog。トラックバックが送れるようにしてくれると嬉しいです。

  3. 今の新日本はだめで批判されるべき。しかし小佐野氏の批判は前から今の状態になりそう前兆があったのにその時批判しないで新日本が権力がなくなってからの批判。小佐野氏を見ていてなさけなくなるよ。あとSアリに出てるときいつもタメ口で話してるけどあれも気をつけたほうがいいですよ。話しかたの勉強してください。権力があるときは媚びて権力がなくなったら批判するのはよくないのでプロレス界よくなるように頑張ってください。

  4. 小佐野さん、前回同様勢実なご対応ありがとうございました。
    確かに人によって感じ方は違うのですが他のスレにも書いたように
    どうも最近のファンは新日本に対してだけ減点法を適用している
    ように思えます。揚げ足取りというかなんというか。
    レスナーのキャンセルにしても双方言い分がありますし本人も
    東スポ誌上でもっともらしいコメントをしていますが韓国からの
    オファーなどどうも筋違いなことを言ってますし(本来なら
    新日本にオファーがあるべき)新日本だけに問題があるわけでは
    ないように思います。もちろんそういう問題を抱えた選手を
    使った責任が新日本にあるといえばそうなのかもしれませんが、
    新日本のトラブルはすべてと言っていいほど外敵がらみ。
    (サップ、藤田、柴田、レスナー)。新日本の中だけで試合を
    する場合は内容がいい場合が多いです。当面は地道にそういう
    興行を続けてほしい。

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