フリーにとって今の時期は…

今日は、明日11日に後楽園ホールで行なわれる佐々木健介20周年自主興行のテレビ解説のための資料の作成と、迫ってきた確定申告のための領収書やらの整理。
 サラリーマン時代は会社が年末調整などをしてくれていたが、フリーの場合、この確定申告が厄介。果たしてお金が戻ってくるのかどうか…。これが我々にとってはボーナスみたいなものだからね。ちんぷんかんぷんだけど、あとはお願いする税理士さんにすべてお任せ。個人事業主の皆さん、確定申告はお早めに!

吉川編集長が退社

 昨日は退社が決まった週刊ゴング吉川義治編集長の送別会→大向美智子が六本木に出したお店『クリスタル・エゴイスト』のオープンニングに顔を出し、帰ってきたのは午前6時を回っていた。
 吉川クンは私と清水さんが、当時は文京区白山にあった日本スポーツ出版社近くの喫茶店で面接をして週刊ゴングに入ってきた人物。もう足掛け16年になる。バイトからスタートして、結婚し、子宝にも恵まれ、仕事の上でも編集長へ…彼も私同様、人生の貴重な時間を週刊ゴング編集部で過ごした。今、私はプロレスに例えればフリーのレスラーとして、ただ週刊ゴングというリングでファイトに専念している身だから、彼が会社を辞める詳しい理由は知らない。また、知る必要もないだろう。30代半ばで会社を辞めるというのは凄い決断なのだから。
 思えば、私も週刊ゴングの編集長を4年5ヵ月務めたが、これは肉体的にも精神的にも、多分、普通の人にはわからないハードなもの(例えるなら「バンプを取ったことのない人間にプロレスはわからない」とレスラーが言うようなもの)。ノンストップで毎週本を出し続けるのは当然として、多くの団体のレスラー、関係者とコミュニケーションを取り、会社の部長の仕事もする。そんな状況で常にアイデアを搾り出さなければならないのだ。私は、最後の1年は…吸収するものよりも、それまでに蓄えたものを吐き出しているような状況だった。吉川クンの場合は、私が04年9月に退社した後、あのGKの後釜として編集長になった。また会社が新体制に移行する時期とも重なっていただけに、そのハードさは私の比ではなかっただろう。
 これから吉川クンがどういう道を進むか知らないが、成功を祈るばかりだ。そしてバトンを渡された木幡一樹新編集長にも頑張ってもらいたい。彼も今年でキャリア15年、年齢も35歳だから、編集長をやるにはいい時期だと思う。私はこれからも、週刊ゴングというリングがあって、そこで求められるなら、1レスラーとしてファイトしていくつもりである。
 話は変わって大向(チャマ)。六本木に店を出すということで覗きに行ったら、大盛況だった。途中でダンスのショータイムもありゴージャスなムード。
「前から店を持ちたかったし、ダンスも好きだし、趣味でやっていた占いも店でやるし、芸能活動もやっていこうと思っているの。そうそう、オサジイ(チャマは私のことをこう呼ぶ)が週刊ゴングでビキニのグラビアを作ってくれてから、芸能の仕事の道が開けたんだから、感謝してるよ!」
 そうそう、私は週刊ゴングの編集長になりたての94年秋、まだ19歳だったチャマの水着のグラビアを作ったっけ。このコは売れると思っていた私は、LLPWのグァム合宿の時、同行するカメラマンに、
「大向の水着のグラビアを作りたいから、向こうに着いたら本人が好きな水着を買ってあげて、それを撮ってきて!」
 とリクエストを出したのだ。見開きのグラビアだったが、反響があった反面、私への抗議の手紙も結構来たのを覚えている。でも、今、それが本人のプラスになっているならOK!
 人生、いろいろである。

頑張れ!Y2P

 昨日は2月1日付けで新日本から晴れて(?)フリーになった吉江豊との『NEWS侍!』。それにしても吉江は最高のキャラ。あの癒し系の体型、新日本の選手に似合わず、ぽっつら、ぽっつらと喋る“ぼやき節”もまた味がある。
 ところがフリーになったばかりの当人はかなりナーバス。本番終了後、
「俺の喋り、面白くなかったですよねぇ。この前、サムライのカメラさんが家に来た時も“喋りが長くて尺に入らないから、簡潔に喋ってくださいよ”って駄目出しされたんスよ。これじゃあ、もう呼んでもらえないかなあ…」
 と、遠い目。その落ち込んだ様子もユーモラスで憎めない。ただ、その気持ちはわかる。フリーは1回、1回が勝負。私も畑違いの仕事の時は、やっぱり「失敗したら、あとがないぞ!」とナーバスになってしまうものだ。吉江の場合はフリーになりたてのホヤホヤ。肩に力が入るのも仕方がない。最後はサムライのスタッフに「大丈夫ですよ、いい味出てましたよ。また出てください」と慰められていたのが、さらにおかしかった。吉江クン、キミは今のままでOKです。自然体の“ぼやき節”は売り物になりますよ!
 ところで、ゼロワンMAXのラブコールに対して、海外修行時代の仲間Y2P-160kgを代わりに出すって?これってPの意味はよくわからないけど、吉江豊(Y2)160キロじゃん!
「いえいえ、これはですね、ワイツーピーワンハンドレッドシックスティーケージーと読むんです!」
 と、頑なに別人を主張する吉江。でも、海外修行時代の仲間のはずなのに、言う時に噛んでいたのはなぜ!? まあ、細かいことはともかくとして、期待しよう。
 そうそう、ゼロワンMAXから米一俵に続いて番組中に寿司が届き、さらに番組終了後に沖縄牛のステーキ100人分を届けるとのFAXが…。
「100人分って…俺の1人分の量をわかっているんですかね。それに沖縄牛って…やっぱり牛肉は但馬牛でしょ!」
 最後まで“ぼやき節”の吉江クンだった…。

WWE総括

 今日、WWE日本ツアー2日目の客入りは、前日より約1500人減の7090人。これまでは初日より2日目の方がお客さんが入っていただけに、この現象はシビアに捉えなければならないだろう。
 試合の方はアンダーテイカーVSJBL、ミステリオVSキャッシュの2試合はキッチリと魅せてくれたが、やはりカリスマ性を持ったスーパースターがいないのは辛い。圧倒的な存在感を示したアンダーテイカーにしてもキャラ的には陰性なのだ。
 メインではWWE王者アングルがヘンリーの挑戦を退けたが、主役になったのは、ダイバリを懐かしのカンフー殺法で蹴散らしたロード・マネージャーのリッキー・スティムボートだった。リッキーを締めにしなければならないところに今回のツアーの苦しさを感じたのは私だけだろうか。以前はアメリカそのままに持ってくればよかった…というよりは、変に日本向けにアレンジすると、かえって拒絶反応を食らっていたが、このリッキーを主役に据えたところといい、前日にウケがよかったサイモン・ディーンを2日目にはベビーとして登場させるなど、日本のファンの心を掴むのに苦心していることがうかがえる。
 今回、横浜アリーナを会場にしたのも「初上陸の時の熱気よ、もう一度!」という願いが込められていたのではないか。試合内容的には悪くないが、カリスマ性を持ったスーパースター不在…日本もアメリカも、プロレス界は同じような悩みを抱えているのだ。

WWE初日

 今日は横浜アリーナでWWE『スマックダウン』ブランド日本ツアーの初日。不入りが噂されていたが、主催者発表での8350人は、思った以上の入り。会場の作り方が上手いこともあるが、満員といっていい入りだった。以前のような爆発的な人気はないが、本当に好きな人たちが来ているという感じ。それでこれだけ入るのだから大したものだと思う。
 やはり圧倒的な存在感を示したのがアンダーテイカー。16年という年月をかけてブランド力を保っているキャラクターはやはりダテではない。もし、アンダーテイカーがいなかったら大会は締りのないものになっていたのではないか。キャラ的に面白かったのはタッグ王者MNM、スペル・クレイジー&シコシスのメキシクール。マッチメーク的に面白かったのは“黒い藤田和之”ことラッシュリーと“軽薄男”サイモン・ディーンの水と油対決。
 試合内容ではベノワVSフィンレーが良かった。フィンレーはロード・マネージャーでもあるが、今年に入ってシュート・ファイターのキャラでリングに復帰している。元々、英国ランカシャー・レスリングの実力者だから、このキャラも当然である。そして、この試合でもシビアな腕攻めでベノワを苦しめた。とにかく戦法が理にかなっていて、隙がないのだ。WWEの試合としては地味だったと思うが、プロレスの基本を見た思いがした。振り返れば、この2人は新日本のスーパージュニアでも戦っている。時代とともにプロレスのスタイルは変わっていくが、こうしたクラシカルなファイトがちゃんと残っているのは嬉しいことである。

天龍源一郎56歳!

 今日は天龍さんの誕生日。何と56歳だ。猪木さんは55歳で引退したし、馬場さんも同じ年齢には完全に第一線から退いていた。ところが天龍さんは現役バリバリ…20代のレスラー相手でも同じ目線で闘っているのだから、凄いの一言。仕事をする以上、年齢を言い訳にはできない。その意味では未だに勉強させられる思いだ。
 私は天龍番記者と呼ばれる。実に光栄なことだ。かつてターザン山本!氏は「小佐野クンは天龍さんと心中したんですよぉぉ!」と言っていたが、天龍さんも私もリアルタイムの中でちゃんと生きている。
 大人になると、そうそう尊敬できる人など現れないものだが、天龍さんは素直に「男たるもの、こうありたいものだな」と思わせてくれた人だった。まず最初に驚かされたのは、天龍革命の時のプロレスに対する真摯な姿勢。こんなにも仕事に打ち込める人がいるのかと、大げさではなく衝撃を受けた。私生活では他人への気配り、人に義理を通すところがカッコよく映った。
 よく酒の話題が出るが、若手やマスコミに大盤振る舞いしても、それを恩に着せたりすることは一度もなかった。そこがカッコよかった。きっと、若手時代に「ああいうふうにカッコよくなりたいな!」と憧れたレスラーも多いはずだ。
 とにかく私は天龍さんのプロレス人生を最後まで追いかけるつもり。これは耐久レースになりそうだ。

永源遙40年!

 今日はノアの事務所に行って北陸の北国新聞が発行しているタウン誌『アクタス』の取材で永源さんにインタビュー。 思えば永源さんにインタビューするのは、昨年1月11日…つまりは永源さんの59歳のバースデー以来1年ぶりのこと。あの時は丸藤の白いGHCに挑戦するということで週刊ゴングの取材だった。
 今回はプロレス専門誌ではなく、タウン誌…しかも北陸で発行されるものだけに地元色を出さなければならない。永源さんは中学卒業後、石川県鹿島郡鹿西町能登部から東京に出てきたのである。大相撲の立浪部屋からハタチで東京プロレスへ。東京プロレスが潰れて日本プロレスに吸収されたが、アメリカ修行中に日プロが潰れて新日本に帰国。84年に新日本クーデターの余波からジャパン・プロレスに移り、ジャパン・プロ分裂騒動後、全日本所属に。そして最後はノア。実にドラマチックな人生だ。
 これを今日、これから原稿にまとめる。2月20日発行の誌面に載るそうなので、北陸のプロレス・ファンの方はぜひ読んでください。