明後日は馬場さんの命日

 もうゴングで予告が載っているので書いてもいいと思うが、先週は馬場さんの企画物を作るために結構、忙しく…それでいて楽しかった。私が馬場さんと接したのはゴングが週刊化された84年5月からSWSのゴタゴタで全日本担当を辞めるまでの90年6月、週刊ゴングの編集長に就任した94年8月から馬場さんが入院するまでの98年12月だから…合計で10年5ヵ月。考えてみたら、わずかな時間だったが、私のプロレス・マスコミ人生に多くの影響を与えてくれた。元々は新日本プロレス・ファンだった私は、いつしか馬場チルドレンになっていた。本当の意味でプロレスを教えてくれたのは馬場さんである。
 94年8月、週刊ゴングの編集長になった時、再び全日本と向き合わなければいけないと思って約4年ぶりに馬場さんとお会いした。その時、馬場さんが私に言ったのはひとことだけ。
「まあ、いろいろあったけど、昔みたいに仲良くやろうや。お前がいた時と全日本は変わったぞう。今度の後楽園に来い」。
 久々に全日本の後楽園に行ったら、記者席に“小佐野景浩様”という紙が貼ってあった。そして以後、昔と同じようにお付き合いしてくれた。結婚した時には「かあちゃんと別れたら返すんだぞ!」と笑いながらご祝儀をくれた。99年1月、私は編集長から増刊号を作る総合編集企画室長に人事異動になったが、最初に作った増刊号は馬場さんの追悼号だった。元子さんは、
「馬場さんは、トド(馬場夫妻は私をこう呼んでいた)に仕事をあげちゃったのねぇ。SWSの時は家出しちゃった不良息子なのに…」
と言っていた。
 何か、人生の節目節目に馬場さんがいてくれたような気がする。そして、私の心の中には今も馬場さんがいる。明後日1月31日…馬場さんが亡くなって丸7年になる。
 
 馬場さん、ボクはいろいろあって会社を辞めましたが、今もこうしてプロレス界で生きています。馬場さんが言う通りプロレスは「楽しいもの」で「面白いもの」だと思います。それを伝えていくのがボクの仕事だと思っています。これからも頑張ります。
 

「明後日は馬場さんの命日」への1件のフィードバック

  1. 久しぶりに投稿させていただきます。
     最近ビックマウスラウドと前田さんのことで色々と報道されていますが、上井さんや村上選手が前田さんの方しか向いていないように見えるのはだいじょうぶなのでしょうか。
     新日本が猪木さんの方ばかり向いてしまいマッチメイクの変更などでファンが離れてしまったこと、そういうことから新日本がおかしくなってしまったことにだぶって見えてしまうのです。
     誰が顧問に就任するとかそんな話題じゃなくて、徳島大会の
    カードを早くファンに提供することが、顧問や前田さんに向けたカードじゃなくてファンが喜んでくれるカードを提供することが今は大切だと思うのですが。
     今、馬場さんのお弟子さんたちがたくさんいるノアが成功しているのはファンの目線と自分たちが馬場さんに教えられた
    プロレスを信じているからだと思うのですが。

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