昨日&今日…

 昨日は3週間ぶりに『NEWS侍!』に出演。番組終了後の打ち合わせが長引いて、帰宅したら日付が変わってしまい、遂にダイアリー1ヵ月完走はならず。
 それはいいとして、昨日は昨日で書きたいことがあった。それは戦友のフリー・カメラマン、渡辺健策氏の通夜。私は今、反省している。健策が亡くなった日、それをダイアリーに書いたが、名前を出していいものが躊躇して、結局は名前を出さなかった。そのため、2ちゃんねるで誰かということが話題になってしまった。改めて考えれば、健策はフリーとして、自分の名前と、技量と、人脈によって生きていた男。だから名前を出すべきだったと思う。健策の通夜は、彼の人脈を物語るものだった。受け付けに立っていたのはキングスロードの高橋秀樹氏とM’SのAKINO。大向、栗原あゆみも手伝っていた。そして各団体からのレスラー、関係者の参列に花の数々…。
 私はお葬式というのは、故人を悼むというよりも、残された人間の心を納得させるものだと思っている。その意味からしたら、何も力になってあげることができなかっただけに、健策の素晴らしい顔に救われた思いがした。それはもし自分の最期の時がきたとしたら、こうありたいという顔だった。変な話、私は自分の心に納得することができた。だから今日の告別式には行かなかった。ありがとう、健策。
 そして今日は馬場さんの丸7年目の命日。自宅で行なわれた法要には、今は敵対関係になってしまった全日本とキングスロードの関係者、レスラーが集まり、夕方からキャピトル東急ホテル行なわれた親しい人間だけによる宴には天龍さん夫妻、馳センセイも出席して、馬場さんの名の下で、みんながこだわりなく喋っていた。これも馬場さんの人徳によるものだと、つくづく思う。
 自宅での法要では、私は妻チエコが作ったレイを持っていった。元子さんは、それを馬場さんのフィギュアにかけてくれた。今、私は馬場さんに何もできることはない。せめて、元子さんに喜んでもらうことが供養だと思っている。

明後日は馬場さんの命日

 もうゴングで予告が載っているので書いてもいいと思うが、先週は馬場さんの企画物を作るために結構、忙しく…それでいて楽しかった。私が馬場さんと接したのはゴングが週刊化された84年5月からSWSのゴタゴタで全日本担当を辞めるまでの90年6月、週刊ゴングの編集長に就任した94年8月から馬場さんが入院するまでの98年12月だから…合計で10年5ヵ月。考えてみたら、わずかな時間だったが、私のプロレス・マスコミ人生に多くの影響を与えてくれた。元々は新日本プロレス・ファンだった私は、いつしか馬場チルドレンになっていた。本当の意味でプロレスを教えてくれたのは馬場さんである。
 94年8月、週刊ゴングの編集長になった時、再び全日本と向き合わなければいけないと思って約4年ぶりに馬場さんとお会いした。その時、馬場さんが私に言ったのはひとことだけ。
「まあ、いろいろあったけど、昔みたいに仲良くやろうや。お前がいた時と全日本は変わったぞう。今度の後楽園に来い」。
 久々に全日本の後楽園に行ったら、記者席に“小佐野景浩様”という紙が貼ってあった。そして以後、昔と同じようにお付き合いしてくれた。結婚した時には「かあちゃんと別れたら返すんだぞ!」と笑いながらご祝儀をくれた。99年1月、私は編集長から増刊号を作る総合編集企画室長に人事異動になったが、最初に作った増刊号は馬場さんの追悼号だった。元子さんは、
「馬場さんは、トド(馬場夫妻は私をこう呼んでいた)に仕事をあげちゃったのねぇ。SWSの時は家出しちゃった不良息子なのに…」
と言っていた。
 何か、人生の節目節目に馬場さんがいてくれたような気がする。そして、私の心の中には今も馬場さんがいる。明後日1月31日…馬場さんが亡くなって丸7年になる。
 
 馬場さん、ボクはいろいろあって会社を辞めましたが、今もこうしてプロレス界で生きています。馬場さんが言う通りプロレスは「楽しいもの」で「面白いもの」だと思います。それを伝えていくのがボクの仕事だと思っています。これからも頑張ります。
 

新日本の06年スタートにあたって

 今日、1・28後楽園で新日本は本当の意味で06年を迎えた。1・4までは昨年の続き…契約更改を終えた(まだ終えていない選手もいるが…)今日からが真のスタートなのだ。
 当然、去る者もいる。だが、まさか逝く者までいたとは思わなかった。今日の午前3時、ネコさん…ブラック・キャットが急性心不全で亡くなったのである。昨日、戦友の死を書いたが、本当に人の運命はわからないものだ。
 大会云々を語る前にネコさんの急死、安沢の引退、吉江の新日本ラスト、その一方では平澤の元気いっぱいのデビュー…と、さまざまな人生を見た思いがした。
 もうひとり、ケロちゃんこと田中秀和氏が退社することも決定した。契約更改が落ち着いた1月24日に辞表を提出したという。
「自分の心の中にある一番大切なものを守れなくなったので決断しました。2・19両国までリングアナを務め、2月25日に退社します。今後ですか? フリーとして…オファーがあればリングアナも続けたいですね」
 とケロちゃん。ケロちゃんは、私がゴングでバイトを始めた1980年の夏からリングアナの見習いで大学に在籍しながら新日本のリングに上がるようになった。いわば同期だけに、何とも言えない。私もそうだが、この40半ばになって、青春を懸けてきた会社を辞めるというのは凄い決断なのだ。いずれ、ゆっくりと話をしてみたい。
 さて、試合の方だが、印象に残ったのはアパッチ軍。昔だったら大ブーイングだっただろうが、観客はブリブラ・ダンスに手拍子。新日本はリング上の風景も、客席も…かつてのものとは違っている。
 

戦友の死

 今日の早朝、フリーカメラマンとして、私の在籍時代からゴングで写真を撮ってくれていた“戦友”が亡くなった。私よりも6歳下…まだ30代の若さだった。
 特別に親しいというわけではなかったが、一昨年の暮れの私の送別会で、最後の3次会まで付き合ってくれ、フリーとして生きていくイロハを教えてくれた男だった。昨年、私がフリーとしてゴングで本格的に仕事を始めたあたりから闘病生活へ。そして…。
 人の寿命は決まっているのだろうか。様々な事情によって、中には死にたいという人もいるかもしれない。でも、命ある限り、精一杯それをまっとうするのが務めだと私は思う。人の運命なんてわからないから、だからこそ日々を大切に生きていきたいと思う。
 こんなメチャクチャな仕事を何年も一緒にやってきた仲間だから、まさしく戦友。亡き戦友が安らかに眠れることを今は祈るばかりだ。

あのカハラが…

 今日はプロレス・ネタではありません。私のもうひとつのジャンル(?)ハワイです。昨年10月に滞在した高級住宅地カハラにあるAランク・ホテルのカハラ・マンダリン・オリエンタルがマンダリン・オリエンタル・グループを離れて、3月1日からザ・カハラになるという。これはハワイ好きにはニュースですぞ!
 その昔はヒルトン・グループでアメリカンな雰囲気だったというが、マンダリンになってからはアジアン・テイストになった。今度は単独経営でハワイアン・テイストになる模様。ウーン、気になる。泊まってみたい。でも、高いからなあ。ザ・カハラになっても格安のインターネット料金が設定されることを祈りたい。
 さて、最近のハワイはハナウマ湾、アラモアナビーチ、ワイキキビーチにクラゲが発生中とか。旅行される方は気をつけてください。今日は、このあたりで…。

風雲急!新日本の契約更改

 新日本の選手の契約更改をめぐる動きが活発になってきた。今日、吉江に続いて西村、成瀬が退団を表明、柳澤もフリーとしての自分のポジションを守ってサインしなかった。注目の天山は、サインはしなかったものの、残留を明言している。
 こうした状況を見ると…やはり昔と違って、団体は選手にとってファイトする場であり、骨を埋める場所ではないということ。もちろん、この方が健全だと思うが、もはや新日本イズムというような“幻想”はなくなったということである。レスラーは自分をよりよく活かしてくれる、よりよい条件の場を選ぶ。団体もメリットのない選手は容赦なく切る。アメリカ・マットと同じような感じになってきた。
 ファンも、これからのプロレスを“団体愛”で見ない方が正解なのかもしれない。選手の個々の生き方を応援する、あるいは、その時々に自分にとって面白いカードを提供してくれる団体を見に行く。そういう時代に突入したのかも。かつての猪木イズムVS馬場イズムという二極対立の時代の中で、ファンがそれぞれ思い入れのある方を熱く応援するというプロレスを見てきた世代にとっては、ちょっと寂しい気もするが…。

地味な1日

今日は昼から今まで(夜10時)、事務所(=仕事部屋だけど…)にこもって調べものというジミーな1日。あとは、ある地方のタウン誌から原稿の依頼があったぐらいで、書くことがないなあ。
 ホリエモン逮捕については…偉そうに書くような知識もないので、やめておきます。
 そうそう、個人ネタとしては、このところノンビリしていないので、2月中旬、マレーシアのランカウイ島に行くことになっている。HISの初夢フェアの超おトクなツアー(1月8日午前10時から先着200名限定)だ。妻チエコの旅行運は凄く、去年もサイパン・ツアーをゲットした実績があるだけに、今年も10時に1発で電話をつなげる快挙をやってのけた。そう、午前10時の時点で電話がつながらなければ、まずアウトなのだ。
 ランカウイはハワイに次ぐ癒しの島。旅行の日を目標に頑張るか!

武藤社長就任3周年パーティー

 今日は東京・九段のホテルグランドパレスで武藤敬司の全日本プロレス社長就任3周年パーティーが行なわれた。昨年秋からフロント陣が相次いで退社するなどのゴタゴタがあったり、反・武藤勢力とも言うべきキングスロードが旗揚げしたりしているだけに、ここで武藤・全日本の新体制をアピールすると同時に、その底力を証明する必要があったのだと思う。
 実際にパーティーは豪華だったし、武藤新体制の人脈を物語るように本当に多くの人が出席した。石の上にも3年である。思えば…この3年、全日本は多くの血を流したと言ってもいい。去っていったレスラー、フロント関係者は少なくない。もちろん、全日本という大きな看板を背負った武藤、そして今も頑張っているレスラー、フロント関係者も血を流している。甘い考えかもしれないが、そうしたみんなが自分の信じた道を進み、みんなが報われることを願う。そこには敵対関係が生まれたかもしれないが、みんなプロレスが好きな同業者なのだから…。

盛況!ノア武道館

 ノアの2006年初のビッグマッチとなった日本武道館は16800人の超満員。相変わらずの勢いを見せてくれた。マッチメイクも巧く練られたもの。売りになったカードは…まず、ノアでは初対決となる三沢VS健介の6人タッグ。もう、新鮮さだけでOKという感じだ。
 そして小橋&泉田VS曙&力皇。これは理屈抜きに面白いプロレス。いつもは相手を肉体で圧倒する小橋の前に塗り壁のような曙が立っただけで「オーッ!」と唸りたくなるもの。小橋が目一杯のチョップを打ち込めば、曙は突き倒しで小橋を吹っ飛ばす。まるで怪獣映画のような迫力と楽しさがそこにあった。曙と力皇の大相撲・昭和63年コンビは本当に楽しそうだったし、東関部屋の先輩・泉田も曙にモンゴリアン・チョップ、ヘッドバットで意地を見せた。最初は小橋コール一色だったのに、試合後は曙にも大声援。
「今日はまず、相撲時代とは逆にプロレスでは先輩の力皇さんに迷惑かけないようにと思っていました。そして小橋さん、泉田さんに正面からぶつかっていく…小橋さんのチョップから逃げないようにと。マシンガン・チョップは本物のマシンガンより痛いんじゃないですか(苦笑)? 同期の力皇さんと組めて、プロレス界のトップの小橋さん、新弟子時代に鍛えてくれた泉田さんと試合ができて、こんな幸せなことはないですよ。一生懸命やればお客さんに伝わる…その姿勢でやっていきたいです」。
 こんなコメントを出す曙は、やっぱりプロレス向きだ。
 セミのKENTAと丸藤の一騎打ちはジュニアの究極系。曙の話を聞いていたので20分過ぎからしか見ていないが、エプロンからの不知火、タイガー・スープレックスを1回転して立つなどの攻防は、まさにギリギリ。2人の卓越したセンスと運動能力、そしてこの年齢でしかできない戦いだったと思う。ハッキリ言って、このレベルは他のレスラーにはついていけないものだろう。
 その後のメインの田上VS秋山は両者にかなりのプレッシャーがかかったはず。試合後、秋山は、
「いつも偉そうなこと言ってるけど、凄いプレッシャーだった。ジュニアが体削ってやっているのに、ヘビーの人間はもっとやらないと。年齢的に体はついていかなくなっても、気持ちだけでも負けないでやっていきたい。リキ、森嶋、ヨネ…ちゃんとやってくれ!」
 とコメントしていたが、これは本音だったろう。
 売りの4試合がすべてタイプが違い、しかもそれぞれの試合に臨む選手が他の試合に負けまいと頑張る。これならファンが支持して当然だ。ノアの底力と精神が垣間見れた武道館だった。

ピンチ脱出!

  いやあ、参った!昨夜、突如として襲ってきた悪寒。これは風邪の前兆だと思って、熱めの風呂に入って寝ようと思ったら…風呂に入っても寒いこと、寒いこと。熱を計ったら38.4度だもんね。熱を出すなんて3年ぶりぐらいじゃないか。
 明日22日はノア日本武道館の追い込み作業があるし、その前にも1本仕事が入っている。こうなったら、ひたすら寝て熱を下げるしかない。ということで、今日は1日中、爆睡。これが本当によく眠れる。そして今、ようやく平熱に! よし、これなら明日のスケジュールをこなせそうだ。
 ということで、明日のダイアリーはノア日本武道館について即日アップできるように頑張ります。ところで昨日のダイアリーにコメントをくれた運勢552位のシンさん、くれぐれも体には気をつけてね!私より26位も下なんだから(似たりよったりか…)。