誕生日!

 今日は私の誕生日! 1961年9月5日、神奈川県横浜市鶴見区の平和台病院で生を受けて…44年が経ったわけだ。大学入学前の春休みにゴングでのアルバイトを始めたわけだから、今まで生きてきたうちの半分以上の25年6ヵ月もプロレス界で生きてきたわけだ。四半世紀以上も不規則な生活をしてきたことを考えると、健康でいられることに感謝するしかない。
 昔は40過ぎというと、凄くオッサンのイメージがあったけど、自分的には20歳ぐらいから精神年齢が変わっていないから、いつまでも若者気分。そりゃあ仕事上、付き合っているレスラーが若いし、読者も若い。だから、いつまでも若者気分でいられるわけだ。よく「ベテラン記者の…」とか「古株の…」とか言われるが、どうもピンとこない。マスコミ関係者も若い人間が多いし、同じ土俵で仕事をしている以上はキャリアにふんぞり返っていたり、「もうトシだから…」なんて言っていられない。天龍さんがKENTAや鼓太郎とムキになって戦っているように、私も若者以上に仕事をやって「どうだ!」とキメたいところ。
 44歳の抱負? もちろんバリバリ仕事をやり…でも、仕事だけでなく豊かな人生を送りたい。人や土地との出会いはかけがいのないもの。楽しく飲んで語り、どこか旅でもしたいなあ。

多面体の健介

 気付いたら9月に入ってもう4日。最近、ダイアリー更新のペースがガタ落ちになって反省している次第です。ちょこっと言い訳させてもらうと、どうしてもその日のことを書きたくて、そうこうしているうちに夜になり、ハッと思った時には日付が変わっているという今日この頃。仕事に振り回されている今の状態を何とかコントロールしていかなければと、思案中の私なのです。
 仕事をうまくコントロールしているプロレスラーといえば佐々木健介。フリーとして様々な団体に上がりながら、体を常にベストにキープして、きっちりとこなしている。その姿勢を見習わなければいけない。
 その健介と9月1日の全日本・札幌スピカで久々に話ができた。健介と私は、20年前に健介がジャパン・プロレスに入門した時からの付き合い。海外修行中もカナダ・カルガリーやドイツから電話をくれたりした。ジャパン・プロが全日本を離脱した後は、健介は私の担当の選手ではなくなってしまったが、それでも久しぶりに顔を合わせたりすると、新弟子時代と変わらないニコッという無邪気な笑顔を見せてくれていたのが嬉しかった。
 新日本→WJを経て、フリーになってからの方が話す機会が増えたが、それでも仕事抜きに喋るのは年に数度。今は昔と違って控室に出入りできないから、ちゃんとした取材以外には、なかなか選手と話す機会がないのだ。そういった面では、今の若い記者はかわいそうだと思う。
 今回の札幌では健介に週刊ゴングの101人インタビュー用の取材。ただ、私はGAORAの全日本中継の解説の仕事が入っていたので、全試合が終了するまでリングサイドを離れることができない。そこで全試合終了後まで待ってもらったが、勝彦と2人でずっと控室で待っていてくれた。
 取材は15分程度のものだったが、そのあとの雑談は30分以上だったか…。いつの間にか、他の選手はバスで会場をあとにしていた。健介はそんなことはお構いなしに過去のこと、家族のこと、今のこと…思っていることをいろいろと話してくれた。高校を卒業したばかりの坊主頭の青年は、プロレスラーとして、夫として、親として逞しい大人になっていた。
 プライベートな話は書けないが、プロレスに関してはこんなことを言っていた。
「俺って、昔は1面のレスラーだったよね。見たまんまのものしかない。まるで1枚の写真だったよ。でも、今は多面体になったと思うんだけど、どう? いろんな角度から見てもらえるっていう」
 かつての健介は強さ、勝敗のみのレスラーだった。ハッキリ言って味はまったくなかった。だが、フリーになって殻を破って自然体になってからは強くて怖い健介、明るく陽気な健介、家族思いの健介、バラエティー番組では恐妻家の健介…と、いろんな健介をごく自然な形で出せるようになった。それは「ありのままの自分を見せても、わかってくれる人がいる」という気持ちも大きいと思う。健介は健介ファミリーを守るために必死に闘い、健介ファミリーはそんな健介をしっかりと支えているのだ。