橋本真也、急逝

 午後2時過ぎ、英会話スクールを終えて携帯電話をチェックすると、数多くの着信が。そして次々にかかってくる電話…。すべて橋本真也の急逝に関するものだった。
 えっ? 橋本が!? こうしてダイアリーを打ち込んでいる今も、何か信じられないし、情報が交錯して現時点では詳しいことはわかっていない。こういう状況になると媒体を持たない私は何もできない。ただ人からの情報を待つ受け身の状態。何か…頭が真っ白で整理がつかないというのが正直なところだ。
 私は橋本選手とはほとんど接点がなかった。彼がデビューした昭和59年当時、私はバリバリの全日本担当。しかも長州らジャパン・プロレス勢が全日本マットに上がるという状況だったから、そちらの取材に精一杯で、新日本マットに目を向ける余裕がなかった。だからヤングライオン時代の橋本選手の記憶はまったくないのである。
 彼が私の取材対象になったのは平成5年に天龍さんを狙ってWARのリングに上がるようになってから。その印象は一途で純真…別の表現をすると、、こうだと思うと周りが見えなくなって一直線な人というものだった。
 もうハッキリとは憶えていないが、ゼロワンを立ちあげたばかりの2000年春、天龍さんと橋本選手の対決の気運が盛り上がり、天龍さんの依頼を受けて、橋本選手に真意を聞きに行ったことがある。確か場所はZEEP TOKYOで、マスコミをシャットアウトしていたが「取材じゃないから」と面会を申し出ると、快く控室に迎え入れてくれて「お久しぶりですね…」と笑顔で迎えてくれた。当時の橋本選手はノアとの戦いに目が向いていて天龍戦はお流れになってしまったが、じっくり話ができたのはその時が最後だったと思う。
 あの伝説の99年1・4東京ドームにおける小川戦(事実上の失神KO負け)から半年後の6・8日本武道館。天龍戦でカムバックした橋本の、
「俺も将来、あんなオッサンになってやろうと思います!」
 という言葉が忘れられない。だが、オッサンになる前に旅立ってしまった。40歳とはあまりにも若すぎる。今はただ、安らかにとしか言葉が出ない。合掌。
 

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